条約改正と日清戦争 センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ条約改正
Ⅱ日清戦争
Ⅲ日清戦争後のヨーロッパ列強
Ⅰ条約改正
1870年代
岩倉具視(いわくらともみ)
岩倉使節団は条約改正のために欧米へ向かう
国内政治を整備することが先だと考える
条約改正ではなく欧米視察へ目的を変える
寺島宗則(てらじまむねのり)
関税自主権を回復を目指して交渉
アメリカとの間で関税自主権を回復
貿易額最大のイギリスが反対して交渉が止まる
井上馨(いのうえかおる)
治外法権=日本国内で罪を犯した外国人を日本の裁判所で裁くことができない
欧化政策による外国人の接待
外国人の内地雑居を許可
裁判所に外国人判事を任用
鹿鳴館(ろくめいかん)という迎賓館を建て舞踏会などを開く
国内の反感を買う
三大事件建白運動を誘発した
外務大臣を辞任
イギリス人船長が日本人を見殺しにする事件
船長は不当に軽い判決を受け、条約改正への要求が高まる
国内の反感を買わないように国ごとに秘密裏に交渉を進めた
条約改正案を暴露されて外務大臣を辞任
1890年代
イギリスが条約改正に対して積極的になる
ロシアの南下を警戒したため、日本を味方に付ける必要があった
青木修蔵(あおきしゅうぞう)
イギリスと条約改正一歩手前まで進めた
大津事件=ロシア皇太子が滋賀県大津で日本の巡査に斬りつけられる事件
外務大臣を辞職
陸奥宗光(むつむねみつ)
1894年:日英通商航海条約を結ぶ
小村寿太郎(こむらじゅたろう)
1911年:関税自主権を完全に回復
不平等条約は完全に改正された
Ⅱ日清戦争
江華島事件をきっかけに1876年に開国させる
日朝修好条規=治外法権や関税免除の規定がある朝鮮にとって不平等な条約
大院君(たいいんくん)と対立し壬午(じんご)動乱に発展する
閔妃側が折れて朝鮮政府は清国に依存することで団結する
清仏戦争で清が敗北する
甲申(こうしん)事変=朝鮮で金玉均(きんぎょくきん)を中心とした独立党が清への依存をやめるためのクーデタを起こす
日本は独立党を支援
朝鮮政府は危機感を持ち清に対して出兵を依頼する
朝鮮半島で日本と清が向かい合う
天津(てんしん)条約=日清両軍が和解のために締結した条約
両国ともに戦争を始めることにメリットがないため
福沢諭吉は「脱亜論」を唱えて反発
日本も欧米列強側に立つべきであるという主張
防穀令=朝鮮政府が出した日本への米穀輸出禁止法
日本政府の反発で撤回させる
天津条約で和解した後も日本と朝鮮は緊張状態にあった
1894年:甲午(こうご)農民戦争(東学の乱)
朝鮮で発生した農民反乱
朝鮮政府は清に出兵を要請
日本政府も軍隊を派遣
1895年:下関条約
日本側からは陸奥宗光も参加する
内容
清国は朝鮮を独立国家であることを認める
清国の領土であった遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖(ぼうこ)諸島を日本に割譲
賠償金2億両を支払う
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