日露戦争と韓国併合 センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ日露戦争
Ⅱ日露戦争前後の内閣
Ⅲ韓国併合
Ⅰ日露戦争
ロシアが日清戦争に勝利した日本に対して邪魔をする
三国干渉=ロシア・フランス・ドイツが日本に対して遼東(りょうとう)半島を返還するように干渉する
日本は遼東半島を清へ返還する
日本ではロシアに対する敵意を「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」と表現
列強の中国分割
日清戦争をきっかけに欧州の国々の中国侵略がはじまる
ドイツは膠州(こうしゅう)湾
ロシアは旅順(りょじゅん)・大連(だいれん)(どちらも遼東半島を指す)
イギリスは威海衛(いかいえい)・九龍(きゅうりゅう)半島
フランスは広州(こうしゅう)湾
全て租借という形を取った
租借=期限を決めた占領
中国の民衆による反発
欧州列強の中国分割に対して民衆が反発した
義和団(ぎわだん)事件=「扶清滅洋(ふしんめつよう)」をスローガンとした運動
扶清滅洋=清を盛り上げて欧州列強を追い出す
中国政府を動かして欧米列強との軍事衝突を起こす
北清(ほくしん)事件=列強との軍事衝突
日本を含めた列強側の勝利に終わり北京議定書が結ばれる
ロシアの満州管理が定められた
ロシアの南下が進み日本政府はロシアを警戒する
日本政府内の意見対立
日露協商論=満州の権利をロシアに与える代わりに韓国の権利を日本が手に入れる「満韓交換」をロシアに認めさせる考え
日英同盟論=イギリスと同盟を結んでロシアに対抗する考え
日露戦争開戦(1904年)
日本が優勢だったが両国ともに戦争の継続が不可能な状態になった
アメリカ大統領セオドア=ルーズベルトが仲介しポーツマス条約を結ぶ(1905年)
日本全権:小村寿太郎 ロシア全権:ウィッテ
条約の内容
日本が韓国を指導することをロシアが認める
旅順・大連の租借権
北緯50度以南のサハリン(樺太)の領有権
日本は賠償金を得ることができなかった
国民の不満が高まり条約調印日に日比谷焼打ち事件が起こる
Ⅱ日露戦争前後の内閣
第1次桂太郎(かつらたろう)内閣
日英同盟論を唱えた人物
日露戦争開始時の内閣
第1次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣
立憲政友会の人物
日露戦争後の内閣で財政が厳しい状態になる
1907年には日本経済は恐慌となる
日本社会党が結成された
第2次桂太郎内閣
桂太郎と西園寺公望が交互に内閣を組閣したので桂園(けいえん)時代と呼ばれる
戊申詔書(ぼしんしょうしょ)=財政を安定させるために国民に節約と勤勉を訴える
大逆(たいぎゃく)事件=孝徳秋水(こうとくしゅうすい)ら社会主義者を弾圧
思想警察である特別高等課を設置する
Ⅲ韓国併合
第1次日韓協約:1904年
日露戦争がきっかけ
韓国保護を名目
軍隊を置く権利
日本人の財政・外交顧問を置く権利
第2次日韓協約:1905年
韓国から外交権を奪い統監府(そうかんふ)を置く
初代統監は伊藤博文
桂・タフト協定(アメリカ) 第2次日英同盟で韓国を保護国化することを認める
ハーグ密使事件:1907年
韓国皇帝が外交権を奪われた反発を、オランダのハーグで開かれていたバンコク平和会議で訴えようとした:失敗
第3次日韓協約
韓国の内政権を奪う
韓国皇帝も退位させる
韓国軍の解散
韓国併合 1910年
この動きを受けて日本政府は韓国を植民地化する
朝鮮総督府(そうとくふ)を置き、寺内正毅(てらうちまさたけ)が初代総督になる
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