大正文化、金融恐慌と山東出兵 センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ大正文化
Ⅱ加藤高明内閣
Ⅲ第1次若槻礼次郎内閣
Ⅳ田中義一内閣
Ⅰ大正時代の文化
自然科学
野口英世の黄熱(おうねつ)病研究
本田幸太郎のKS磁石鋼
学問
マルクス主義経済学の流行 川上肇(はじめ)「貧乏物語」
演劇
美術
日本美術院が再興
春陽(しゅんよう)会
フューザン会(岸田劉生の「麗子微笑」画像)
雑誌の挿絵を描いた竹久夢二「黒船屋」画像
文学
芸術至上主義の耽美(たんぴ)派(永井荷風(かふう)・谷崎純一郎ら)
人道主義・理想主義に基づいた白樺派(武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)・志賀直哉ら)
技法上の革新を追求した新感覚派(川端康成(かわばたやすなり)ら)
葉山嘉樹(よしき)「海に生くる人々」 小林多喜二(たきじ)「蟹工船」 徳永直(すなお)「太陽のない街」
大衆文化
円本(えんぼん)=1円で日本の文学作品を読める
岩波文庫=安価で世界の名作を読める
大衆雑誌として「キング」が創刊
ラジオ放送の開始
Ⅱ加藤高明内閣
大正時代最後の内閣
第二次護憲運動の結果できた内閣
1925年の出来事
普通選挙法を制定
満25歳以上の男子に選挙権が与えられる
治安維持法を制定
「国体」(国家の体制)を変えようとしたり、私有財産制度を否定する結社を禁止
社会主義者の運動を抑制する目的
日ソ基本条約
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相のもとに幣原外交と呼ばれる協調外交を進めていく
護憲三派は分裂し憲政会だけで結成された第2次加藤高明内閣が成立
加藤高明の病死で潰れた
Ⅲ第1次若槻礼次郎内閣
憲政会出身 昭和天皇が即位したときの内閣
震災手形=関東大震災の結果、決済不能になった手形
未処理の震災手形が当時の銀行の経営状態に深刻な打撃を与えていた
取付け騒ぎ=銀行の経営に不安を抱いた人々が預金を引き出すために銀行に殺到した
金融恐慌=人々が預金を下ろしに殺到して銀行が倒産した
枢密院が反対したため内閣が総辞職を行う
Ⅲ田中義一(ぎいち)内閣
立憲政友会出身
蔵相の高橋是清(これきよ)を中心に金融恐慌対策に乗り出す
モラトリアムの実施=銀行から預金を引き出せないようにした
金融恐慌が終焉
強硬外交の実施
張作霖(ちょうさくりん)の支援が目的
中国国民政府のトップ蒋介石(しょうかいせき)は張作霖を止めるために満洲へ出兵(北伐)
北伐の対応として山東出兵が行われた
満州の占領にも失敗する
田中内閣は張作霖爆殺事件の責任を取る形で総辞職
第1回普通選挙の実施
1928年:無産政党の議員が8名当選
治安維持法を改正し最高刑を死刑に変更
特別高等課を東京以外の各府県にも設置
三・一五事件、四・一六事件で共産党員の弾圧を行った
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