自由民権運動(1870年代) センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ自由民権運動 1870年代
Ⅰ自由民権運動(1870年)
当時政府で力を持っていた大久保利通(としみち)や木戸孝允(たかよし)らが反対
征韓論を唱えた人物は明治政府を去る
民選議員設立(みんせんぎいんせつりつ)の建白書(1874年):政府内で力を持っている人物の独裁政治をやめさせることが目的
1875年:土佐で板垣退助を中心に立志社(りっししゃ)が結成
1876年:大阪に全国組織である愛国社(あいこくしゃ)が結成
江藤新平(えとうしんぺい)…佐賀の乱を起こし征韓論を実現しようとするが鎮圧
1875年:大阪会議
1874年から始まった台湾出兵の是非をめぐって木戸孝允が政府を抜ける
大久保利通らは板垣退助や木戸孝允らを政府に戻すため大阪会議を行う
会議の内容
元老院(げんろういん)、大審院(だいしんいん)、地方官会議の設置を約束
元老院=憲法の起草(憲法を作って国会を解説してほしいという要望に応える)
地方官会議=府知事・県令による会議
漸次立憲政体樹立(ぜんじりっけんたいせいじゅりつ)の詔=立憲体制を作ることを目指す
讒謗律(ざんぼうりつ)と新聞紙条例を出して政府への攻撃を抑え、民権運動の弾圧も行った
不平士族の反乱
1876年:武士に与えていた秩禄を全廃する(秩禄(ちつろく)処分)
金禄公債(きんろくこうさい)証書の配布=一時金を支給することを記した証書を配布した
廃刀令=武士の刀の所持が禁止
武士のすべての特権が奪われた
萩(はぎ)の乱=前参議の前原一誠(まえばらいっせい)が中心(1876年)
いずれも鎮圧
国会開設要求の高まり
片岡健吉(けんきち)の立志社建白(1877年)
大阪で愛国社が再結成される(1878年)
要求を国会の開設に絞り込むために国会期成(きせい)同盟に改称(1880年)
政府は集会条例で国会期成同盟を弾圧
伊藤博文(国会慎重派)と大隈重信(国会解説派)が対立していた
地方の統治制度
1878年:郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則の地方三新法が制定された
国会開設の勅諭(ちょくゆ)
1881年:開拓使官有物(かいたくしかんゆうぶつ)払下げ事件
開拓使長官の黒田清隆(きよたか)が自らの地位を利用して同郷の五代友厚(ごだいともあつ)に開拓物を異常な安価で払い下げた
国会開設運動が盛り上がる
国会開設の勅諭=10年後の国会開設を約束する
国会開設運動を盛り上げて政府に迷惑をかけたという理由で大隈重信を辞任させる(明治十四年の政変)
私擬憲法の作成
千葉拓三郎「五日市憲法草案」
政党の結成
フランス流の急進的な自由主義を主張
イギリス流の議会政治を主張
福地源一郎:立憲帝政党を結成
政府の御用政党 他の2政党と異なり政府に反発していない
機関誌として「東京日日新聞」を発刊
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