開港後の貿易と公武合体 センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ開港後の貿易
Ⅱ公武合体
Ⅰ開港後の貿易
横浜・長崎・箱館(はこだて)で貿易開始
イギリスが貿易相手の中心
横浜の貿易量が圧倒的に多い
輸出品は生糸(きいと)や茶
輸入品は毛織物や綿織物
当初は圧倒的な輸出超過
貿易の問題点
貿易のせいで日本国内は品不足になる
五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)
雑穀・水油(みずあぶら)・蝋(ろう)・呉服(ごふく)・生糸については必ず江戸を経由して江戸の品不足を補ってから開港場に送る法令
外国人が納得せず効果が上がらなかった
外国に比べて日本の金は3分の1くらいの値段であったため金が流出する
万延(まんえん)貨幣改鋳を実施
金の含有量が少ない小判を発行して金の海外流出を防ごうとした
インフレが起こり人々の暮らしがさらに苦しくなる
貿易を背景とした物価高騰が起こったため外国人排斥運動(攘夷運動)に発展
Ⅱ公武合体
将軍継嗣問題
13代将軍家定の死後
井伊直弼ら保守派は家柄を重視し紀伊藩主の徳川慶福(よしとみ)を推す(南紀派)
改新派の大名は幼少であった慶福ではなく水戸藩主の徳川慶喜(よしのぶ)を推す(一橋派)
実権を握っていた井伊直弼が推した慶福が将軍になり徳川家茂(いえもち)が誕生
14代将軍徳川家茂
将軍継嗣問題と通商条約の締結が理由で反発が起こった
桜田門外(さくらだもんがい)の変=井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸浪士らに暗殺
老中安藤信正(あんどうのぶまさ)が幕府の中心になる
朝廷と手を結ぶ(公武合体)(こうぶがったい)
孝明天皇も朝廷の権力を拡大するための手を組んだ
坂下門外(さかしたもんがい)の変=安藤信正は公武合体の反対派によって江戸城坂下門外で負傷
攘夷派は公武合体に反対だったのが理由
薩摩藩の動き
文久(ぶんきゅう)の改革=島津久光(しまずひさみつ)の幕政改革
当初は攘夷(じょうい)思想(外国人を打ち払うべきという思想)が強かった
生麦(なまむぎ)事件=大名行列を横切ろうとしたイギリス人を殺傷する事件
薩摩藩は攘夷が不可能という結論に至る
長州藩の動き
尊王攘夷(皇室を崇拝し、皇室の権威をもって外国を打ち払う)の立場
八月八日の政変=長州藩を京都から追放する
池田屋事件=新選組を使って京都にある尊王攘夷の人を一掃させた
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