列強の接近と鎖国の終わり センターと私大日本史B・近代で高得点を取る!
目次
Ⅰ列強の接近
Ⅱ鎖国の終わり
Ⅰ列強の接近
18世紀末
日本に最初にやってきたのはロシア人
ラクスマンが漂流民の大黒屋光太夫(だいこきゃこうだゆう)を伴って根室にやってくる(1872年)
寛政の改革を行っていた時期
通商を求めていたが、長崎以外で通商を行っていないことを理由に拒否
レザノフを長崎に派遣(1804)⇒鎖国を理由に通商を拒否
近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)に千島を探検させて択捉島(えとろふとう)に柱を建てる
間宮林蔵(まみやりんぞう)に樺太(からふと)を探検させ島であることを発見させる
ゴローウニン事件=国後島(くなしりとう)にいたロシア人をとらえたことで外交問題に発展
フェートン号事件=イギリス船がオランダ船を追って長崎に侵入し乱暴を働いた
1825年:異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を出し外国船の撃退を命令
モリソン号事件=アメリカ船モリソン号を撃退
漂流している日本人を助けて送り届けようとした
モリソン号事件を非難した渡辺崋山(わたなべかざん)・高野長英(たかのちょうえい)らを処罰する(蛮社の獄(ばんしゃのごく))
イギリスと清の戦争
イギリスが勝ち、香港を割譲される
アヘン戦争の影響で天保の薪水(しんすい)給与令が出される
異国船が来航したら、まきや水を与えておとなしく帰ってもらう法令
天保の改革の時代
オランダ国王の開国勧告=鎖国を続けることは不可能であるという親書
Ⅱ鎖国の終わり
1583年:浦賀沖にアメリカからペリーが派遣される
大統領の国書を持って開国を要求した
同時期に長崎へロシアからプチャーチンが来航し開国を要求した
1584年:老中阿部正弘(あべまさひろ)は開国を決意する
アメリカと日米和親条約を結ぶ
ロシアと日露和親条約を結ぶ
日米和親条約の内容
①下田(しもだ)と箱館(はこだて)を開港
②開港場に領事の駐在を許可
ロシア・イギリス・オランダとも同様の和親条約を結ぶ
日米通商修好条約の締結
アメリカがハリスを派遣して通商を要求
老中堀田正睦(ほったまさよし)は天皇の勅許を背景に通商条約を締結使用するが失敗
大老井伊直弼が1858年アメリカの圧力に屈して天皇の勅許を得ることのなく条約を締結
日米通商修好条約の内容
神奈川・長崎・兵庫・新潟を開港
開港場に居留地を設け外国人の居住を許可
協定関税制:関税率を日本が独自に設定できない(関税自主権の欠如)
領事裁判権:日本で罪を犯した外国人を日本側で裁くことができない(治外法権)
オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同様の条約を結んだ(安政の五カ国条約)
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